みなさんこんにちは、syuyaです。
突然ですが、皆さんには信仰している宗教はありますか?
世界には古今東西問わず、様々な宗教が存在しています。
その中でも世界三大宗教と言われる、キリスト教、イスラム教、仏教の総信者数は40億人とも言われています。
これはすなわち、
世界人口約80億人の内のおよそ半数が、この三大宗教のどれかの信者であるという事です。
無神論者が多いといわれる日本人の感覚からすると想像しがたい現状ですよね。
その他にも、世界には様々な宗教が存在しており、全てを列挙する事は困難を極めます。
この記事ではそんな世界の宗教の中から、代表的なものをピックアップしてご紹介します。
- ユダヤ教・・・古代から続くユダヤ人の宗教
- ゾロアスター教・・・善と悪の対立を示す古代宗教
- バラモン教・・・ヒンドゥー教の元となった古代インドの教え
- 仏教・・・世界三大宗教の一つであるアジアの宗教
- ジャイナ教・・・徹底的な非殺傷主義の宗教
- ヒンドゥー教・・・バラモン教から進化したインドの最大宗教
- 儒教・・・中国人の根幹を成す孔子の教え
- 道教・・・自然と一体となり、”道”を追求する宗教
- キリスト教・・・世界一の信者数を誇る世界宗教
- 神道・・・日本の神々を祀る日本人の宗教
- マニ教・・・様々な宗教のハイブリッド宗教
- 陰陽道・・・道教から進化を遂げた日本独自の宗教
- イスラム教・・・中東発祥の世界三大宗教
- シク教・・・ターバンが特徴のインドの宗教
- まとめ
ユダヤ教・・・古代から続くユダヤ人の宗教
ユダヤ教のシンボル”ダビデの星”
ユダヤ教の礼拝の様子
創始者:モーセ
成立年:紀元前13世紀頃
発祥地:パレスチナ
聖典:タナハ(旧約聖書)
主神:ヤハウェ(יהוה)
信者数:1300万人~1500万人(2023年現在)
世界で最も古い宗教の一つとされているのがユダヤ教です。
創始者はモーセとされています。
ヘブライ人として生まれたモーセは、当時エジプトのファラオに囚われていたヘブライ民族を率いて、エジプトからの脱出を試みました。
そして、エジプトとシナイ半島を隔てる紅海を割り、海が割れて出来た道を通りシナイ半島に逃れたという伝説が、旧約聖書の中の物語である『出エジプト』に描かれています。
そして紅海に突き出たシナイ半島にあるシナイ山まで民衆を引き連れて行くと、そこに唯一神であるヤハウェ(יהוה)が現れます。
ヤハウェは守るべき10の規則が書かれた十戒をモーセに授け、そのまま姿を消したとされています。
その後、十戒を授かったモーセにより、ユダヤ教は開かれます。
ユダヤ教の特徴としては、
”人類を救う存在である救世主(メシア)がいつの日かこの世に現れ、ユダヤ民族を救う”
というメシア信仰が挙げられます。
加えてメシアにより救いを受けるのは、ユダヤ教を信仰する者のみであるとする選民思想も特徴の一つです。
またユダヤ教には、日常生活においても数多くの宗教的義務があり、
豚肉やカニなどの甲殻類を食べる事を禁止するという食生活への制限や、
週に一度訪れる安息日(シャバット)における労働の禁止
などがあります。
ユダヤ教を信仰する人たちの事をユダヤ人と呼び、中世から近世にかけて金融業などを独占しました。
金融業による成功により、代表的なユダヤ人資産家であったロスチャイルド家を始めとした裕福なユダヤ人が台頭した事などから、
ヨーロッパにおいてユダヤ人は度々差別の対象とされたという過去があります。
特に有名なユダヤ人差別が、20世紀にドイツで成立した国家社会主義労働者党(ナチス)による、国家ぐるみでのユダヤ人迫害(ホロコースト)でした。
第二次世界大戦後、ユダヤ教を信奉するユダヤ人達は、二度とホロコーストのような迫害を受けないようにするべく、自分たちの国を建国する事を決意します。
そして、古代のダビデ王の時代において、自分たちの国家があった地中海東岸の都市であるイェルサレムを中心としたパレスチナの地に、自分たちの国家であるイスラエルを建国しました。
ですが、その地には既にアラブ系のパレスチナ人がすでに住んでおり、なかば侵略する形でそこにイスラエルを建国したため、周囲のアラブ諸国とパレスチナ人の反発を受けます。
そして、1948年から1973年にかけて、イスラエルと周辺のアラブ諸国による4回に渡る中東戦争が勃発しました。
このように、紀元前13世紀頃の成立から今日に至るまで、世界史に多大な影響を与え続けた稀有な宗教がユダヤ教であると言えます。
ゾロアスター教・・・善と悪の対立を示す古代宗教
画像引用 https://www.sugiurahonten.com/column/about-zoroastrianism
ゾロアスター教の礼拝の様子
創始者:ザラスシュトラ
成立年:紀元前13世紀頃という説と紀元前7世紀頃という説がある
発祥地:ペルシア(現イラン高原)
聖典:アヴェスター
主神:アフダ・マズラ
信者数:10万人~数百万人(2023年現在)
ゾロアスター教は古代ペルシア(現在のイラン)で信仰されていた宗教です。
伝説的な教祖ザラスシュトラ(ゾロアスター)によって開かれました。
ザラスシュトラは古代ペルシアの地に、ペルシアの土着の多神教の神官の一族の子供として生まれます。
幼少期から神官階級の子供としてのエリート教育を受けたザラスシュトラでしたが、20才の時にペルシアの多神教の教義に反旗を翻し、一族を連れて放浪の旅へと出ます。
その後、初期の頃は既存の宗教勢力の反発もあり中々教えが広がりませんでしたが、徐々に信者を増やしていき、最終的にペルシア一帯で広く信仰される一大宗教となっていきます。
ザラスシュトラの死後も古代ペルシアにおいて影響力を持ち続け、後の3世紀頃に成立したササン朝ペルシアでは国教とされる程となります。
しかし、その後の7世紀頃から始まるイスラム教の勃興により衰退していく事となりました。
特徴としては、世界最古の一神教(一人の神を崇める宗教)のひとつである他、善神アフラ・マヅダと悪神アンリ・マンユによる善悪二元論が挙げられます。
善悪二元論は世界の終末において、善神アフラ・マヅダが悪神アンリ・マンユを打ち破り、それまでに善神アフラ・マヅダに味方をしていた人間のみが救われるという教えです。
ゾロアスター教にに登場する終末論や、人間の死後の世界に関する考え方などは、後の多くの宗教に影響を与えました。
また一番の特徴として、燃えたぎる火を信仰の対象とする拝火思想が挙げられます。
ユダヤ教などと共に最古の宗教の一つと数えられ、キリスト教やイスラム教など、後に成立した宗教に与えた影響は大きいと言われています。
バラモン教・・・ヒンドゥー教の元となった古代インドの教え
バラモン教の最高神インドラ
現代のインドにも残るバラモン教のカースト制
創始者:不明(アーリア人)
成立年:紀元前13世紀頃
発祥地:インド
聖典:ヴェーダ
主神:インドラ
信者数:10億人以上(ヒンドゥー教と同一視した場合)
バラモン教は古代のインドで信仰されていた宗教です。
また、現在のインドの主要な宗教であるヒンドゥー教の前身とも呼べる宗教です。
成立は紀元前13世紀頃とされ、その頃にインド亜大陸に侵入してきたインド=ヨーロッパ語族の民族集団であるアーリア人が、先住していたドラヴィダ人を支配していく過程で形成されていったとされています。
バラモン教において特徴的なのがカースト制と呼ばれる身分制です。
古代のインド人は、生まれた家系によって、
最上級のカーストとしての祭祀階級であるバラモン
王族・騎士階級であるクシャトリア
商人・平民階級であるヴァイシャ
奴隷階級であるシュードラ
の4つのヴァルナと呼ばれる階級に分けられました。
これらの階級は完全に世襲制で、親の階級が子供にも受け継がれます。
インド独立後の1949年に制定されたインド憲法ではカーストによる差別を禁じてはいるものの、カーストそのものは残っており、依然としてインド社会に残っています。
後にバラモン教は時代を下るにつれてヒンドゥー教と呼ばれるようになり、今日でもインド人の信奉する主要な宗教として残っています。
仏教・・・世界三大宗教の一つであるアジアの宗教
仏教のシンボル ”法輪”
仏教の貴重な聖地のひとつ”祇園精舎”の巡礼動画
創始者:ゴータマ・シッダールタ(仏陀)
成立年:紀元前6世紀頃
発祥地:インド・ブッダガヤ
聖典:仏典
主神:仏
信者数:5億人以上
仏教は古代インドで信仰されていた宗教です。
また世界三大宗教の一つにして、古代から現代に至るまで、中国、朝鮮、東南アジア、日本を中心としたアジア圏に多大な影響を与え続けている宗教です。
紀元前6世紀頃、インドのシャカ族にクシャトリア階級の裕福な家庭に生まれたゴータマ・シッダールタによって開かれました。
35才の時に悟りを開いて以降は仏陀を名乗り、インド全国に布教をしていきます。
仏陀は当時のインドの主流な宗教であったバラモン教を批判しつつ、人が追求すべき真の幸福についての、実践的な考え方を布教していきます。
仏教における中心的な考えは、
この世の全ての苦しみは欲望から生ずる
という考えです。
その為、苦しみを取り除く為には欲望を絶つ必要があると説き、その為の方法が四諦(したい)そして八正道(はっしょうどう)と呼ばれるものです。
四諦・八正道の実践により正しく生きる事によって、死後に生まれ変わる輪廻転生の輪から離れ、一切の苦しみのない解脱の状態を目指すというのが仏教の最終目標です。
輪廻転生などの基本的な死生観は当時のバラモン教に依拠しつつも、その教えは極めて実践的であり、特に対人関係における深い洞察は現代においても役立つ知恵であると言えます。
仏教は発祥地であるインドのみならず、中国、東南アジア、朝鮮、そして日本にも伝わり、多大な影響を与えます。
その過程でいくつかの分派が生まれ、主に東南アジアに伝わった上座部仏教と小乗仏教、チベットに伝わったチベット仏教、そして東アジア諸国に伝わった大乗仏教などがあります。
それぞれの仏教勢力は各地に寺院を造り、時の権力者に利用されたり、または寺院自体が力を持ったりして、それぞれの国の文化的・思想的影響力を強めていきました。
2023年現在では、仏教の信者数は5億人以上とも言われ、キリスト教とイスラム教と共に、世界三大宗教と呼ばれるほどの広がりを見せています。
ジャイナ教・・・徹底的な非殺傷主義の宗教
Original: Mpanchratan Vector: Chainwit., CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
ジャイナ教のマントラ唱和の様子
創始者:ヴァルダマーナ
成立年:紀元前6世紀~紀元前5世紀頃
発祥地:インド
聖典:アガマ
主神:存在せず
信者数:400万人~800万人
ジャイナ教は仏教とほぼ同時期のインドで信仰されていた宗教です。
仏教の開祖であるブッダと同じく、クシャトリア階級出身のヴァルダマーナによって開かれました。
仏陀と同じくクシャトリアの裕福な階級の子息として過ごしたのち、その生活に疑問を持ち、30代の頃に出家しています。
そして仏陀と同じく、当時インドにおいて支配的であったバラモン教を批判し、仏陀の広めた仏教とは違ったアプローチで人間の魂の救済を目指しました。
その大きな特徴として、アヒンサーと呼ばれる徹底的な非害・非殺傷主義が挙げられます。
アヒンサーは、”全ての生き物の生命を奪う事を固く禁じる”という厳格な教えです。
その徹底ぶりは相当なもので、魚や牛・豚などの動物の肉を食べない事はもちろんの事、空気中に漂う微小な生物を呼吸により吸い込む事により殺傷しないように白い布を鼻と口周りに巻いたり、
地面に這う蟻等の虫を踏んで殺傷しないように裸足で歩くなどといった事を、普段から実践しているようです。
世界宗教となった仏教に比べれば信者数は増えなかったものの、インドの一部のコミュニティでは主要な宗教であり続け、現代では世界で400万人~800万人の信者がいるようです。
ヒンドゥー教・・・バラモン教から進化したインドの最大宗教
ヒンドゥー教における神聖な文字であるサンスクリット語の”オーム”
インドの大河”ガンジス川”にて沐浴するヒンドゥー教徒の人々
創始者:不明
成立年:紀元前6世紀以後
発祥地:インド
聖典:リグ・ヴェーダ
主神:ブラフマー・シヴァ・ヴィシュヌの3神
信者数:13億人以上
ヒンドゥー教は、現在のインドで広く信仰されている宗教です。
インドに古代から存在していたバラモン教が、後に登場した仏教の影響も受けつつ、時代を下り変化していったのがヒンドゥー教です。
信者数のみを考えれば13億人以上と、信者数5億人ほどの仏教よりも信者数が多いですが、信者の大半がインドに住んでいるインド人の為、世界宗教としては数えられていません。
輪廻転生の死生観やカースト制などをバラモン教から受け継ぎつつ、後にインドで成立した仏教などの諸宗教の影響を受け、独自の進化を遂げました。
また、バラモン教において最高神とされていたインドラの地位が下がり、代わりに破壊と再生の神であるシヴァ、秩序と調和を守る神であるヴィシュヌ、創造の神であるブラフマーの三神が最高神とされました。
ヒンドゥー教において、牛は神聖な動物であるとされています。
その為、多くのヒンドゥー教徒は牛の肉を食べない事が特徴です。
また、インドを流れる大河川であるガンジス川を神聖な河川とみなし、そこで身体を洗う事で身体を清めるという沐浴や、その他様々な儀式などが行われています。
一言にヒンドゥー教と言っても地域ごとに細かな違いがあるようで、また信仰の度合いも個々人によって違う為、様々な派生的なしきたりや儀式などが存在するようです。
インド人にとって、ヒンドゥー教は宗教というより生活の一部といった様相を呈しており、インド人の思想、行動基準に深く根付いています。
儒教・・・中国人の根幹を成す孔子の教え
長崎の孔子廟にて行われる孔子生誕祭
創始者:孔子
成立年:紀元前6世紀~紀元前5世紀
発祥地:中国
聖典:五経十三経
主神:存在せず
信者数:社会規範の一つとなっている為、正確な数は不明
儒教は古代から現代に至るまで、中国で信仰されている宗教です。
古代中国において活躍した”諸子百家”の一人である孔子が説いたの教えが、後に儒教となって中国全土に広まりました。
孔子は紀元前6世紀頃に、当時の中国に存在した小国である魯にて生まれました。
幼少期から学を好み、20代後半で魯の国に仕官します。
そこでの働きぶりが認められ、役人として出世していく孔子ですが、44才の頃に人を教え導くことに使命を見出し、退官します。
その後、再び仕官したり、また離れたりを繰り返しつつ、子路や顔回、子貢と言った優秀な弟子を育成し、世に排出していきます。
教育者として名をはせた孔子ですが、晩年は息子に先立たれたり、愛弟子を失ったりといった不遇が重なり、失意のうちに74才の生涯を終えました。
生涯の内に育成した弟子の数は3000人を超え、後に弟子たちによりまとめられた孔子の教えが、後の時代の人々に注目され、研究・実践されていく事となります。
孔子の教えは神々を祀る宗教というよりも、人間社会で実践するべき事柄を説いた哲学的・道徳的内容が多く、その内容は主に”家族愛”や”隣人愛”を説いています。
儒教は後に朝鮮半島や日本列島に伝わり、東アジアの国々に多大な思想的影響を与えました。
儒教の教えにおいて、最も重要視されるのは”仁”と呼ばれる考え方です。
”仁”の内容は、他人への思いやりを第一とし、社会との調和を守り、絶えず自己修養する事により、個々人が完全な人格を目指す事の大切さを説くものです。
”仁”と同列に重要視されているのが”礼”の考えです。
”礼”の内容は、個人一人一人が秩序を保つ努力をしてこそ、世の中の調和が保たれると説いたものでした。
これら”仁”と”礼”の教えは、後の”諸子百家”の思想に多大な影響を与えました。
儒教はその後、歴代の王朝や政権からの弾圧や、逆に科挙試験の科目になるなどの保護を受けたりしつつ、中国人の倫理観や家族観などに影響を与えていきます。
中でも家族間のつながりや、自らの祖先を尊重する考えは、今でも中国人にとって重要な考えとなっています。
近年は再び一党独裁制をとっている中国共産党による、宗教や思想に対する監視・締め付けが強化されつつあり、今後の儒教の未来に関しては不透明な部分も多くあります
道教・・・自然と一体となり、”道”を追求する宗教
台湾の龍隠寺で行われている道教の祭り
創始者:老子
成立年:紀元前6世紀ごろ~5世紀ごろ
発祥地:中国
聖典:道徳経など
主神:太上老子(神格化された老子)
信者数:数百万~数千万人
道教は古代中国で広まった宗教です。
孔子と同時代に活躍したとされる伝説的な思想家である老子によって説かれた教えが、後の世に広まった結果生まれたのが道教です。
道教においては、”道”と呼ばれる概念が教えの根幹を成しています。
”道”とは言語化の難しい概念ではありますが、この世の真理といったものが近く、宇宙の根源であると同時に、無限の存在であるとされます。
また”陰と陽”の相反する概念のバランスが大事と説き、どちらに偏ることもなく、また陽の中に陰を含み、陰の中に陽を含むという事を説いています。
それを端的に示したのが、象徴的なシンボルである”太極図”であり、中国を始めアジア諸国で重んじられることとなります。
そして、人類の文明を否定し、自然と調和し一体となることの重要性を説いた”無為自然”の教えを広めました。
儒教が実社会において心得るべき実践的な教えを説いているのに対し、道教はそんな人の世を厭い、神秘主義的な教えを説いたことが象徴的です。
後に道教は不老不死を探求する教えへと変化し、不老長寿の妙薬を作り出すことを目的とした”練丹術”へと発展し、中国の科学技術や医学の発展へと繋がりました。
キリスト教・・・世界一の信者数を誇る世界宗教
バチカンにて行われるローマ法王によるミサの様子
創始者:イエス・キリスト
成立年:紀元後数年のうち
発祥地:イスラエル
聖典:旧約聖書および新約聖書
主神:”父”と”子(イエス・キリスト)”と”精霊”による三位一体
信者数:20億人以上
キリスト教は古代イスラエルで発祥し、現在では世界中で信仰されている宗教です
キリスト教は世界三大宗教の一つにして、のちの世界史に多大な影響を与え、2023年現在においても世界に多大な影響を与え続けている宗教です。
創始者はイエス・キリストです。
キリストは紀元前4年ころ、現在のイスラエルのベツレヘムという町で、マリアという女性から産まれました。
父親は大工をしていたナザレのヨセフと言われています。
しかし教えによると、マリアは男性と性交渉の経験の無かった処女であり、そんなマリアのもとに天使であるガブリエルが舞い降り、天にいる父である神とマリアの子であるキリストの受胎を告知したとされています。
キリストは誕生してのち生活の場を代え、青年期は同じくイスラエルのナザレという町で過ごしていたとされています。
そして30歳になったころ、布教活動を開始しました。
キリストは当時の支配階級であったローマ帝国やユダヤ教の長老たちを批判しつつ、隣人愛や清貧、そして悔い改める事の重要性を布教していきます。
そして行く先々で病人を手をかざすだけで治癒するなど、様々な奇跡を起こす事により、信者を増やしていきました。
そんなキリストでしたが、勢力が拡大するにつれて、当時のユダヤ教の権力者たちに睨まれてしまいます。
更に、当時のイスラエルを統治していたローマ帝国としても、新たに布教を始め信者を増やしていたキリスト教は、新たな脅威として無視できない存在となっていました。
そして、ローマ帝国はユダヤ州総督であったポンペイウス・ピラトに命じ、キリストを処刑する事に決定します。
弟子たちに匿われていたキリストでしたが、弟子のひとりであるイスカリオテのユダの裏切りにより、ローマ兵に囚われてしまいます。
捉えられたキリストは、当時のローマ帝国の最高刑である磔刑に処されることとなります。
死刑判決を受けたキリストは、自らが磔にされる十字架を背負い、イェルサレムにあるゴルゴダの丘を登ります。
丘の頂上で髭を抜かれたり、茨のかんむりをかぶせられるなどの拷問を受けた後、自身がそこまで運んできた十字架に、両手足を釘により打ち付けられ、磔とされます。
磔により血液の循環が止まったキリストは、徐々に意識も朦朧としてきます。
そして、命の灯が消えようとするまさにその瞬間に
エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神よ、何故私を見捨てたのですか?)
と叫び、絶命してまいました。
この際にキリストが磔にされた十字架は、その後のキリスト教のシンボルとして定着する事となります。
キリスト教の教えでは、この際にキリストが生きとし生ける全ての人間の、生まれながらに持つ罪(原罪)を代わりに背負った為、処刑されたという教えとなっています。
その為、キリストを信じる者は原罪から解放され、死後キリストのいる天国に行くことが約束されています。
キリスト教の聖典である新約聖書には、死んだと思われたキリストの復活の場面が描かれており、キリストを信奉していた使徒達の前にのみ死んだはずのキリストが現れ、使徒たちに復活を告げました。
これはキリスト教において重要な意味を持つイベントで、キリスト教ではキリストの復活を祝う復活祭(イースター)が設定され、毎年祝われています。
キリスト教の聖典である新約聖書にはこのような数々の説話や教えが記されており、ユダヤ教の旧約聖書と共に記された書物である”聖書”は人類史上最大のベストセラーとなりました。
キリスト教はローマ帝国において広がり続け、4世紀半ばのローマ皇帝テオドシウス帝の時代には、キリスト教がローマ帝国における正式な国教とされ、その地盤を揺るぎないものとしました。
ローマ帝国がゲルマン人の流入により崩壊した後も、キリスト教は西欧世界において多大な影響力を持ち続けました。
中世においてはキリスト教の聖地であるイェルサレムを、当時その地域を支配していたイスラム教徒から取り戻すべく、西欧諸国から編成された十字軍が組織され、東方に向けて度々進軍しました。
現在キリスト教徒は
・ローマのバチカンに本拠地を置く、キリスト教最大派閥のカトリック教会
・16世紀の宗教家マルティン・ルターによる宗教改革によって生まれ、ドイツやスウェーデン、イギリスなどで信仰されているプロテスタント教会
・ロシアや東ヨーロッパ諸国で信仰されている東方正教会
の3つの派閥に分かれています。
神道・・・日本の神々を祀る日本人の宗教
Mukai, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
伊勢神宮にて行われる、神道における最も重要な祭事である神嘗祭
創始者:存在せず
成立年:不明
発祥地:日本
聖典:神典(日本書紀、古事記などの古典群)
主神:天照大神(あまてらすおおみかみ)、八百万の神々
信者数:およそ8800万人
神道は日本で信奉されている固有の宗教です。
自然崇拝的な特色を持つ宗教であり、山や海、更にはモノにまで神が宿るという八百万の神(やおよろずのかみ)という考え方が特徴的です。
その中でも主神といったものは特に定まっていないようですが、神々の中で太陽を司る女神である天照大神(あまてらすおおみかみ)は別格の存在とされ、日本の皇室の家系の直接の先祖とされました。
日本各地に神道の聖地である神社が設けられ、日本人の生活に馴染んでいます。
神社の入り口には通常、鳥居と呼ばれる門が設けられ、この門の形が神道のシンボルと見なされることも多くあります。
そんな神社のなかでも社格という、神社におけるランクのようなものがあり、中でも三重県にある伊勢神宮は別格の神社とされ、全ての神社の上に位置付けられています。
その伊勢神宮にお参りに行くことをお伊勢参りといい、比較的平和な時代であった江戸時代から庶民の楽しみの一つとされていました。
江戸時代の後、明治維新から第二次大戦の日本の敗北までの時期において、神道は国民の思想の統一の手段として政府や軍に利用され、国家神道と呼ばれる形態となりました。
国家神道においては、天皇を絶対不可侵の現人神(あらびとがみ)と見なし、天皇に反逆する者は非国民として徹底的に弾圧する思想統制が行われます。
日本の第二次大戦の敗北後、GHQにより国家神道は解体され、国家から独立した宗教として存続する事となりました。
現在でも初詣や七五三、お盆や神社参拝といった神道のイベントは、日本人の生活に深く浸透し、日本人のアイデンティティーの一つとなっています。
マニ教・・・様々な宗教のハイブリッド宗教
中国にあるマニ教の寺院で行われるマニ教の儀式
創始者:マニ
成立年:240年
発祥地:ササン朝ペルシア(現イラン)
聖典:シャブラーカーン 等
主神:光明神
信者数:ほぼ存在せず
マニ教は3世紀頃に、主にイラン高原で信じられていた宗教です。
マニ教の創始者マニは、当時イラン高原に興っていたアルサケス朝パルティア帝国で、貴族の父親であるパティークと、王族の母親であるマルヤムとの間に生まれました。
マニが住んでいたメソポタミア地域は、ゾロアスター教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、さらにはギリシアの諸宗教など、様々な思想・宗教が入り乱れていた為、幼いマニはそれらの思想に触れていきます。
そして後に、それらの教えを統合したマニ教を考案することとなったのでした。
そしてマニは、自らをセト・エノク・エノス・シェーム・ザラスシュトラ・ブッダ・キリストに続く、神から預言を授かった最新にして最後の預言者として自らを位置づけました。
幼き頃から所属していた教団から出奔したマニは、メソポタミア一体で布教活動を開始しました。
その後、新たな宗教であったマニ教は着実に信者を増やしていき、アルサケス朝パルティアに代わりメソポタミア地域を治めていたササン朝ペルシアのシャープール1世の支持を得ます。
ササン朝の保護の元、マニ率いるマニ教はササン朝領内の各地にマニ教の教会を建立しました。
しかし、この事はササン朝ペルシアの国教であるゾロアスター教徒の反感を買いました。
マニを保護していたシャープール1世が崩御し、その子のホルミズド1世も次いで崩御した後、第4代大王であるバハラーム1世の時代となると、帝国の宮廷内でのゾロアスター教の勢力が盛り返します。
権力争いに敗れたマニは地方に左遷、その後逮捕され、最後は獄中死を遂げました。
マニ教の教えは、ユダヤ教、ゾロアスター教、キリスト教、グノーシス主義、仏教や道教など、当時メソポタミア一体で流行っていた宗教の特徴を取り入れた教義となっています。
ゾロアスター教から取り入れた、宇宙の根源に存在する”光”の存在と、それに対抗する”闇”の存在を示唆する二元論や、知識と信仰、そして潔癖を魂の成長の為の重要な要素とするなどを教えの主軸としています。
その中でも自らをセトから仏陀、キリストに続く預言者の後継とする考え方は、後のイスラム教の開祖ムハンマドに継承されました。
そんなマニ教ですが、21世紀の現在においてはそとんど信者はおらず、中国の一部の地域にマニ教の寺院が存在しているに留まっているようです。
陰陽道・・・道教から進化を遂げた日本独自の宗教
http://onmyoji.ayakashi-web.com/category3/entry25.html
有名な陰陽師である安倍晴明を祀る、京都の晴明神社の様子
創始者:特定の人物はいない
成立年:5世紀~6世紀頃
発祥地:日本
聖典:特になし
主神:存在せず
信者数:正確には不明であるがごく少数
陰陽道は、平安時代の日本で信仰されていた宗教です。
陰陽道は、中国の道教の教えから影響を受けた自然界の成り立ちを究明する考え方である陰陽五行説が、遣隋使や遣唐使などを通じて日本に伝わり、日本において独自の進化を遂げたものです。
世界の成り立ちは陰と陽と呼ばれる二つの対局に位置する要素である陰陽と、それに加えて木、火、土、金、水の5つの要素からなる五行から成り立っているという教えであり、それらが調和を保っている状態こそが理想であるとされました。
また陰陽道を修得した陰陽師たちは、占術や卜占法を用い、平安時代の宮廷の貴族たちの占いをするなどしていました。
中でも10世紀頃に生きた陰陽師である安倍晴明は、陰陽術や呪術、占星術や風水などの知識や技術を用い、貴族や国家の様々な問題を解決し、各地に逸話を残しています。
このようにして、陰陽道の勢力は平安時代の宮廷にて大きな影響力を持つようになりましたが、時代が貴族中心の平安時代から武士が中心の鎌倉時代へと移るにつれて、その影響力は少なくなっていきます。
こうして政治的、宗教的影響力はほとんどなくなってしまった陰陽道ですが、その後も占星術の知識などは細々と継承され、近年の日本では新興宗教や占い師などにその技術が利用されたり、アニメやゲームなどの題材として親しまれたりしています。
イスラム教・・・中東発祥の世界三大宗教
サウジアラビアにある聖地メッカにあるカアバを巡礼するイスラム教徒
創始者:ムハンマド
成立年:610年
発祥地:アラビア半島
聖典:クルアーン
主神:アッラー (الله)
信者数:16億人以上
イスラム教は7世紀頃のアラビア半島で成立し、現在では世界中で信仰されている宗教です。
イスラム教は7世紀頃のアラビア半島にて、裕福な商人であったムハンマドによって開かれました。
2023年現在において、世界には16億人以上のイスラム教の信者がいると言われ、キリスト教や仏教と並び、世界三大宗教の一つに数えられています。
ムハンマドは570年、現在のイスラム教の一番の聖地であるメッカにて、クライシュ族のハーシムという家に生まれました。
しかし、ムハンマドが5歳の頃に両親は亡くなり、商人であった叔父のアブー・ターリブに引き取られ、育てられました。
叔父と同じく商人となったムハンマドは、裕福な女商人ハディージャと結婚し子供をもうけるなど、商人として順風満帆と言える人生を歩んでいきます。
しかし、西暦610年の8月10日、
40才のムハンマドはメッカ近郊のヒラー山の洞窟内で瞑想中に、大天使ジブリール(ガブリエル)に遭遇し、唯一神アッラーの啓示を受け取ります。
その後ムハンマドはメッカでの布教を始め、妻のハディージャや従弟のアリー、友人のアブー・バクルが最初の入信者となりました。
しかし、そんなムハンマドに対し、メッカの商人たちは厳しい弾圧を加えます。
そして西暦622年、メッカでの布教を諦めたムハンマドは、メッカの北に位置するメディナにて布教をすることにしました。
この出来事をヒジュラ(聖遷)と言い、ヒジュラが行われた西暦622年をヒジュラ歴元年とし、今でもイスラム教国で使われる暦であるヒジュラ歴(イスラム歴)の始まりとしています。
ムハンマド率いる原初のイスラーム共同体はメディナ周辺の住人を取り込み、急激に勢力を伸ばしていきます。
そして西暦630年、ムハンマド率いる1万の軍勢はメッカに進軍、メッカは無条件で降伏しました。
元々メッカの土着宗教であった多神教の神殿であったカアバ神殿を占領し、イスラム教の第一の聖地としました。
このカアバ神殿は現在においても、世界中のイスラム教徒にとって重要な聖地とされ、イスラム教徒以外の入場を原則禁止としている他、イスラム教徒が行うべきとされている毎日の礼拝は、世界中のどこにいようともこのメッカのカアバ神殿の方角を向いて行うべきものとされています。
632年にムハンマドが亡くなった後、後を継いだアブー・バクルを初代カリフとしてイスラム勢力は拡大し続けます。
そして、ニハーバンドの戦いにてサーサーン朝ペルシアを滅ぼし、中東一体を支配するほどになります。
しかし、その指導者であるカリフの座を巡っての内紛が頻発し、4代カリフにしてムハンマドの従弟であったアリーも暗殺されます。
そして、この第4第カリフアリーの暗殺をきっかけに、
・4代カリフのアリーとまでを正当なカリフとし、後に即位した全てのカリフを認めない派閥をシーア派
・それ以外のカリフも認めるべきであるとするスンナ派
の二つの大きな派閥に分かれる事となります。
このうち、現在のイスラム教国でシーア派に属する国家はイランやイラク、アゼルバイジャンなどで、その他の多くのイスラム教国がスンナ派に属しています。
イスラム教の特徴としては、日常生活にまで組み込まれた厳格な戒律があります。
告白(シャハーダ)・礼拝(サラート)・施し(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)を特に実践するべき5つの行い(五行)と定め、現代でもイスラム教徒は忠実に守っているのです。
また法律に関してはシャリーアと呼ばれるイスラム法が順守されます。
シャリーアには多くの禁忌があり、殺人や窃盗の禁止はもちろんの事、
飲酒の禁止、豚を食べる事の禁止などの、非イスラムの国には見られない禁忌が多く存在します。
トルコなどを除く多くのイスラム教国では、女性が夫や子供意外の男性に素肌や髪を見せる事も禁忌とされています。
その為、多くのイスラム教徒の女性はヒジャブと呼ばれる布で髪を隠しています。
また、イスラム教国においては一夫多妻が容認され、妻を平等に愛し養えるならば4人まで妻を持つ事が可能です。
イスラム教の信者の分布は中東を中心にアフリカ、中央アジア、東南アジアと幅広く、信者数も多いため、今後も世界に影響を与え続ける宗教であることは間違いないでしょう。
シク教・・・ターバンが特徴のインドの宗教
画像引用 https://www.alegsaonline.com/zoom.php?image=Khanda.svg.png
シク教の聖地のひとつ黄金寺院の様子
創始者:グル・ナーナク
成立年:15世紀末
発祥地:インド北部
聖典:グル・グラント・サーヒブ
主神:神
信者数:2400万人
シク教は15世紀末のインドにおいて発祥し、現在でも信仰されている宗教です。
シク教は15世紀末、インドにおいてグル・ナーナクによって開かれた宗教です。
ナーナクはインドとパキスタン国境の町であるタルワーディーという街で、ヒンドゥー教徒の両親の下に生まれました。
ナーナクの家庭は上位カーストであり、なおかつ裕福な家庭でしたが、ナーナク自身はそのようなカースト制に否定的でした。
カーストのような人に生まれ持った身分をつける制度を否定し、万人が平等に交流する事を奨励します。
思想的にはナーナクより少し前の時代にインドで活躍した、宗教活動家のカビールの影響を受けており、ヒンドゥー教とイスラム教の融合を目指しました。
それと同時に、この時代にはすでに形骸化し、それぞれの権力と結びついていたヒンドゥー教とイスラム教を強く批判します。
そのため、シク教の教義においてはイスラム教におけるジハードも説かず、また苦行や出家、カーストなどのヒンドゥー教の制度も否定しています。
ヒンドゥーとイスラムの、それぞれの教えの原点に帰る事を推奨しており、時代が下るにつれて足されていった余計なものを排除しようとしたのが、ナーナクの教えでした。
奇しくもナーナクと同時代に、ヨーロッパのドイツでは同じく形骸化して強大な権力と化していたキリスト教のカトリック教会を批判し、新たにプロテスタントを創始したマルティン・ルターが活躍しています。
西洋と東洋で同時期に、形骸化し権力と化していた宗教組織の改革が行われていたわけですね。
そんなシク教の最終目標は、繰り返される輪廻転生の果てに神と一体となる事(ムクティ)であり、ムクティに至る為に煩悩を捨て、シク教の宗教指導者であるグルの指導を受ける事を奨励しています。
シク教はナーナクの死後も、当時北インドを統治していたムガル帝国の皇帝アクバルの、比較的宗教に寛容な統治のもとで着実に信徒を増やしていきました。
しかし、アクバルの死後シク教の勢力の拡大を脅威と見たムガル帝国は、シク教を弾圧し始めます。
しかし、ムガル帝国が18世紀頃に急速に衰退すると、1801年ランジート・シングによりシク教徒の王国であるシク王国が建国されました。
そして1845年より、当時の帝国主義政策により海外に植民地を作っていた大英帝国のイギリス東インド会社と二度に渡るシク戦争を起こします。
シク戦争により、大英帝国は東インド会社を介した間接的なインドの統治から、イギリス政府が直接インドを統治する直接統治へと、当地の形態を切り替えました。
2023年現代において、シク教徒は世界に2400万人ほどおり、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教に次いで世界で5番目に多い信者数を誇っています。
シク教徒の大きな特徴の一つとして、シク教の男性は自らの髪や髭を、神から与えられた神聖なものと考える為、それらを切らず伸ばしている点が挙げられます。
そして、伸ばした髪をまとめる為ターバンを巻くことが多いのですが、これがインド人のステレオタイプの一つとなり、
”インド人=ターバン”
というイメージが先行しました。
その結果、多くのフィクションのインド人がターバンを巻いた外見となっています。
ですが、大半のインド人がターバンを巻かないヒンドゥー教徒である為、これは間違ったステレオタイプであると言えますね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
科学文明が発達し、宗教は昔ほどの重要性は無くなりました。
しかし、死後の世界の謎を含め、未だ人知の及ばない領域について説明するのにあたり、”神”ひいては”宗教”の役割が、依然として存在しているのではないでしょうか?
また、その土地の宗教観を理解する事は、その土地に住む人々の民族性を理解する事にも繋がります。
グローバル化が進む現代において、他国の宗教観を学ぶ重要性も高まっているといえるでしょう。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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