こんにちは、syuyaです。
前回の記事では、家庭用ゲーム産業の黎明期である1970年代~1980年代中頃まで。
ゲームハードの世代で言うならば第1世代ゲームハード~第3世代ゲームハードまでをご紹介しました。
アメリカのマグナボックス・オデッセイから始まった北米におけるゲーム産業が、アタリ社のアタリ2600が引き起こしたアタリショックによって壊滅。
その後、日本の任天堂を始めとしたゲーム会社が台頭し、ファミリーコンピューターなど日本製のハードを発売して、それらは瞬く間に大ヒットしました。
その後、日本のゲーム会社が海外にまで販路を伸ばし、世界のゲーム産業を席巻しました。
今回は、ゲーム大国となった日本国内での覇権を巡る、ゲーム会社同士の争いについてご紹介します。
1983年に発売されたファミリーコンピューターの大ヒットにより、一気に頭一つ抜きんでる存在となった任天堂。
対するライバル会社であるSEGAやハドソンなどが、次々と自社ハードを発売し王者である任天堂に追いつこうとします。
この記事では、そんな熾烈を極めた第4世代据え置きゲームハードの開発競争と、それと並行して行われた携帯ゲームハード開発競争についてご紹介します。
1987年:ハドソンとNECよりPCエンジンが発売される
任天堂とSEGAのゲームハード戦争に少し遅れる形で参入したのが、”ボンバーマン”を開発したハドソンと、電気メーカー大手であるNECホームエレクトロニクスとの共同開発によって造られたPCエンジンでした。
販売価格は24,800円
名作ファミリーコンピューターソフトであるボンバーマンを世に送り出したハドソンは、更に意欲的にゲーム開発を行おうとします。
しかし、自らが作りたいと思っている高クオリティのゲーム表現の為には、当時のメジャーなゲームハードであったファミコンやセガ・マークⅢではスペックが足りないという事が判明します。
それならば自分たちで新たなハードを作ろうと思い立ち、同じく自社ゲームハードを作りたいと考えていたNECホームエレクトロニクスと利害が一致し、新たにゲームハードを共同開発します。
その結果生まれたPCエンジンは、ファミコンやセガ・マークⅢなどよりもグラフィックや音楽などを表現する性能が上回っていました。
ファミコンやセガマークⅢなどの第三世代ゲームハードに対し、このPCエンジンは第四世代ゲームハードと呼ばれています。
第四世代ゲームハードの特徴は、
・高度なスプライト機能の搭載による2Dグラフィックの向上、
・それまでのモノラルサウンドからステレオサウンドへの移行
・ゲームの複雑化に対応するためのコントローラーの多ボタン化
などが挙げられます。
さらに、大容量となったゲーム内容に対応する為、それまで主流であったROMカートリッジを変更する事にしました。
結果、ソフトはROMカートリッジに代わり薄型カードであるHuCARD(ヒュー・カード)と、CD(コンパクト・ディスク)であるCD-ROM2を中心に、5つの規格で販売されていました。
PCエンジンで実装されたICカード型のROMカートリッジであるHuCARD
日本語版ウィキペディアのSACHENさん, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=116037713による
そして、現在では当たり前となっている外付けメモリーカードによるデータ保存もこのハードが初です。
その他にも、機能を拡張する為の周辺機器が多いことでも知られています。
他の第4世代ゲーム機に先んじて発売したにもかかわらず、そのスペックや独創性は他のハードよりも頭一つ抜きんでいました。
結果として、商業的にもそれなりの成功を収めたものの、任天堂や後に登場するSONYなどの競合他社がポリゴンを用いた3D描写が可能なゲームハードの開発に乗り出す一方、ハドソンとNECホームエレクトロニクスは3Dゲーム開発競争からは取り残されてしまいます。
その為、PCエンジンの次世代機であるPC-FXを最後に、ハドソンとNECホームエレクトロニクスはゲームハード開発事業からは撤退してしまいます。
PCエンジンより発売された代表ソフト
そんなPCエンジンからは、数多くの名作ソフトが発売され話題となります。
今なお横シューティングゲームの名作として語り継がれている名作シューティングゲーム”R-TYPE”
ハドソンにより開発された、壮大な物語が話題を呼んだPCエンジンソフト最高傑作との呼び名も高いRPGである”天外魔境II 卍MARU“
当時放映されていた、ドリフターズのメンバーである加藤茶と志村けんによるバラエティ番組”加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ”を題材とした横スクロールアクションゲーム”カトちゃんケンちゃん”
など、多くの個性豊かな名作ゲームが発売され話題となりました。
ハード・ソフト共に高クオリティでしたが、海外での販売は振るわないなど、ゲームハードシェアトップの座は取れませんでした。
それでも世界累計で1,000万台ほど売れ、今なおレトロゲームマニアの中にはファンの多いゲームハードとなっています。
代表ゲームソフト
R-TYPEⅠ
カトちゃんケンちゃん
イースⅠ・Ⅱ
天外魔境II 卍MARU 等
1988年:セガよりメガドライブが発売される
メガドライブはゲーム開発会社セガによる、セガ・マークⅢの後継機となる第四世代型ゲームハードです。
販売価格は21,000円
先行して発売されていたハドソンとNECによる同じく第四世代型ゲームハードであるPCエンジン、未だ根強い人気を誇っていた伝説的なハードである任天堂のファミリーコンピューター、そして後に発売される任天堂の第四世代ゲームハードであるスーパーファミコンと熾烈な販売競争を繰り広げました。
北米では”GENESIS”の名称で知られています。
日本のゲーム市場における任天堂のファミリーコンピューターの勢いを見たセガは、日本における勝算は薄いと判断し、北米を中心とした海外市場をターゲットにゲーム開発及びマーケティングを実施します。
それが功を制し、日本におけるメガドライブの販売台数358万台に対し、北米で2000万台、ヨーロッパで839万台を売り上げるなど、主に海外で人気を博したゲームハードとなりました。
結果、現在でも海外のゲームファン、特に北米のゲームファンに支持されているゲームハードとなっています。
メガドライブより発売された代表ソフト
メガドライブから発売されたソフトには、アメリカンコミックのキャラクターや当時のアメリカで有名な人物とのライセンス契約により、彼らを主人公としたゲームが数多く発売されています。
マーベルコミックスからライセンスを受けて、アメリカの国民的なキャラクターであるスパイダーマンをセガ主導でゲーム化した”スパイダーマン”
また、当時のアメリカで大人気であったアメリカンフットボール選手であるジョー・モンタナとライセンス契約を結んで開発した”ジョーモンタナ・フットボール”
F1ドライバーであったアイルトン・セナとライセンス契約を結んで開発した”アイルトン・セナ スーパーモナコGP II”
世界的ミュージシャンであったマイケル・ジャクソンとライセンス契約を結んで開発した”マイケルジャクソンズ ムーンウォーカー ”
など、北米の有名人とライセンス契約を結び彼らの名を冠したゲームタイトルを次々発売するなど、徹底したアメリカ市場向けの販売戦略をとります。
しかし、日本のゲームユーザー向けのソフトも多数発売しており、”ファンタシースター 千年紀の終わりに”などの数々の名作も生み出されています。
そしてこのハードから、”セガにとってのマリオ”とでもいうべき、セガの看板キャラクターである”ソニック・ザ・ヘッジホッグ”が、同名のソフトである”ソニック・ザ・ヘッジホッグ”より登場します。
ライバルである任天堂のマリオシリーズよりもスピード感を重視したゲーム性は、アメリカ人のゲームユーザーに大いに受けました。
このように北米市場において任天堂よりも優位に立っていたメガドライブですが、セガの北米支社であるセガ・オブ・アメリカが主導した、メガドライブ周辺機器であるスーパー32Xの商業的失敗により、影を落とします。
そもそも、日本のSEGA本社側では、既に次世代機であるセガ・サターンの開発に注力していて、メガドライブの生産からは手を引こうとしていました。
その為、大ヒットしたメガドライブを延命させようと周辺機器を発売しようとしたセガ・オブ・アメリカとの温度差などがあり、日本本社と北米支社で足並みが乱れてしまいます。
結果、メガドライブの大量の売れ残り品などの存在も、SEGAブランドや次世代機開発にとって大きな障害となってしまいました。
最終的に後に発売される任天堂のスーパーファミコンに、総売り上げでは敗北してしまったメガドライブですが、大健闘したゲームハードと言えます。
さらに、SEGAの代表キャラクターであるソニック・ザ・ヘッジホッグを生み出したり、その他名作と言われるゲームソフトがこのハードから多数発売されるなど、SEGAにとって記念すべきゲームハードであったのは間違いありません。
代表ゲームソフト
大魔界村
ソニック・ザ・ヘッジホッグ
マイケルジャクソンズ ムーンウォーカー
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ 等 他多数
1989年:任天堂よりゲームボーイが発売される
任天堂から発売された、ゲーム&ウォッチに次ぐ第3世代携帯ゲーム機がゲームボーイです。
販売価格は12,500円
一つのハードにつき一つのゲームしか遊べなかったゲーム&ウォッチと違い、ゲームボーイではカートリッジ交換により、一つのゲームハード機で複数のゲームソフトが遊べるようになりました。
これにより、格段に家庭のお財布事情に優しくなります。
また、別売りの通信ケーブルでゲームボーイ同士をつなぐことにより、自分以外のゲームボーイを持っている人との通信が可能となり、ゲームのプレイの幅が大きく広がりました。
ゲームボーイより発売された代表ソフト
ゲームボーイからは、これまでの人気シリーズの他にも、後にシリーズ化され大人気になるタイトルの一作目が発売されています。
スーパーマリオシリーズの最新作で、お馴染みマリオを操作して悪の宇宙人タタンガに攫われたデイジー姫を助ける横スクロールアクションである”スーパーマリオランド”
後に大人気シリーズとなるタイトルの一作目で、空を飛んで敵を吸い込んで倒す斬新なアクションで一躍人気となった”星のカービィ”
このゲームボーイ発売のソフトで特筆すべきソフトは、後にメディアミックスされ一大コンテンツとなる、1996年発売の”ポケットモンスター赤・緑”でしょう。
”ポケットモンスターと呼ばれる不思議な生き物をゲットして、育てて、戦わせ、待ち受けるジムリーダーやチャンピオンを倒し、最強のトレーナーになる”
というシンプルながら奥深いシステムは、それまでのロールプレイングゲームの常識を覆すものでした。
この革新的なゲームは口コミで評判となり、世界中で飛ぶように売れます。
そして、最数的に世界で3,000万本を超える売り上げとなります。
これはポケットモンスターシリーズで未だに最も売れた記録となっており、2019年発売のポケットモンスター ソード・シールドの2,390万本の記録を凌駕するものとなっています。
https://windroid.work/2022/02/pokemon-sp.html/
ポケットモンスター赤・緑の人気を受けて、後にポケットモンスター青が少年漫画雑誌であるコロコロコミックの抽選応募で限定販売されましたが、あまりの応募の数にコロコロコミックの発売元である小学館の処理が追い付かないという事態が発生。
後にローソンなどのコンビニで追加販売されたものの、なおも購入希望者が後を絶たなかったため、遅れる事3年後の1999年に一般販売されたというエピソードがあります。
このように、ポケモンやカービィを始め、後に任天堂の看板タイトルとなるゲームの第一作目がこのゲームボーイから発売されています。
大ヒットを収めたゲームボーイは、後にゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンスとシリーズを重ねていき、その度に数々の大ヒット作を生み出しました。
後に任天堂の据え置きゲームの売り上げがSONYなどのライバル企業の登場により苦境に立たされた際も、これら携帯ゲーム機の売り上げにより、大きく支えられることとなりました。
代表ゲームソフト
スーパーマリオランド
ポケットモンスター 赤・緑
星のカービィ
テトリス 等
1990年:SNKよりNEOGIOが発売される
Evan-Amos – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18260466による
ゲーム開発会社SNKが、1990年に発売した第4世代ゲームハードがNEOGIO(ネオジオ)です。
販売価格は58,000円
”ゲームセンターなどに置いてあるアーケードゲームと、互換性のある家庭用ゲーム機を目指すというコンセプト”
で開発されました。
当時の家庭用ゲーム機はグラフィック面などでアーケードゲームに劣り、アーケードの移植ソフトであっても多少の劣化は我慢しなければいけませんでした。
しかし、アーケードマシンと互換性のある大型カートリッジを採用する事で、ネオジオはアーケードゲームと遜色ないグラフィックなどを実現する事が可能となります。
加えて、専用のメモリーカードを使えば、ゲームセンターなどのアーケードゲームの進行状況をメモリーカードに保存し、自宅で続きをプレイする事も出来ました。
また、一部のゲーム屋などからネオジオ本体をレンタルすることが出来るなど、画期的なサービスを展開しました。
このように、他の第四世代ゲーム機に比べ異色な特徴の多かったネオジオですが、1991年から始まった、カプコン制作のストリートファイターⅡから端を発した格闘アーケードブームにより、
”家庭で出来るアーケードゲーム”
というコンセプトであったネオジオも注目を集めます。
結果として、ネオジオは累計100万台以上の売り上げを記録するなど、商業的に成功を収めました。
NEOZIO(ネオジオ)より発売された代表ソフト
ネオジオからは、その高性能のグラフィック描写力を活かした様々な名作ソフトが発売されています。
SNKにより開発されて人気となった横スクロールシューティングゲームのアーケード版の移植作である”メタルスラッグシリーズ”
SNKによって開発された格闘対戦ゲームで、今なお大会が開かれるほどの大人気格闘アクションゲームである”THE KING OF FIGHTERSシリーズ(通称KOF)”
など多くの名作を世に送り出しました。
とても魅力的なゲームハードであったネオジオですが、本体の価格やソフトの価格がとにかく高かった事で有名です。
ネオジオ本体の価格が58,000円である他、ソフトですら一つ30,000円前後と、ソフト単体でゲーム機本体並みの価格を誇っていました。
これは、ハイクオリティなグラフィックを実現するために、100メガビットあったとも言われる高容量のROMカートリッジを使用していたためでした。
ですが当然、当時の子供にはとても手が出なかった代物であったため、前述のレンタルサービスが行われたようです。
代表ゲームソフト
メタルスラッグシリーズ
THE KING OF FIGHTERSシリーズ
餓狼伝説シリーズ
龍虎の拳シリーズ など
1990年:任天堂よりスーパーファミコンが発売される
ファミコンやゲームボーイをこの世に送り出し、ゲームメーカーの王座の地位を不動のものとした任天堂が、1990年に満を持して発売した第4世代型ゲームハードがスーパーファミコンです。
販売価格は7,800円です。
当初の予定では1989年に発売予定であったのですが、発売が延期された結果、他社の第四世代型ゲーム機の発売に少し遅れた1990年に発売されることとなりました。
これは、ファミコンの売上が未だ好調だった事に加え、予想以上の売り上げを記録したゲームボーイの増産に、大量の半導体を使った事により半導体が不足したためであったとされています。
このようにスタートには出遅れたスーパーファミコンですが、
伝説的なゲームハードであるファミコンの後継機である事に加え、ハード面のスペックも高く、また多くのハイクオリティなソフトが任天堂やその他サードパーティのゲーム会社から発売されたため、他の第四世代ゲームハードを圧倒する売り上げを記録します。
結果、世界で4,910万台の売り上げを記録しました。
スーパーファミコンより発売された代表ソフト
ファミコンに比べ格段に上昇したグラフィックやサウンドの性能により、これまでの任天堂のメインシリーズの最新作が続々発売されます。
ファミリーコンピューターで発売されたスーパーマリオのゲーム作品4作品をリメイクし、一つのソフトに詰め込んだ豪華作品である”スーパーマリオコレクション”
スーパーマリオシリーズの最新作で、後のシリーズにも登場する代表的なマリオファミリーである”ヨッシー”の初登場作品である”スーパーマリオワールド”
星のカービィシリーズの最新作で、その特大のボリュームと優れたゲームデザインから今なお歴代最高傑作の呼び名もある”星のカービィ スーパーデラックス”
大人気アドベンチャーゲームシリーズである”ゼルダの伝説シリーズ”の最新作”ゼルダの伝説 神々のトライフォース”
さらに、マリオのキャラクターを使用したレーシングゲームで、後にシリーズ化されることとなるスーパーマリオカートも発売され、大ヒットとなります。
その他、スクウェアやエニックス、カプコンやハドソンといった他のゲーム会社も、サードパーティーとしてスーパーファミコンで自社のソフトをリリースしたため、クロノトリガーなどの名作がスーパーファミコンから生まれる事となりました。
さらに、アーケードゲームとして登場して以降ゲーマーの間で大流行し、
日本はおろか世界中で格闘アーケードゲームブームを巻き起こしたカプコン制作の伝説的2D格闘ゲームストリートファイターⅡがスーパーファミコンに移植され、世界累計販売台数630万本を記録するメガヒットとなります。
アメリカのアタリ社のゲームハードであるアタリ2600の時代から、自社以外のゲームソフト開発会社であるサードパーティーを上手く取り込み、よくマネジメントすることこそゲームハードが成功する鍵であると言われてきました。
任天堂は自社の基準を満たすサードパーティーのゲームソフトのみ、自社ハードでの販売を許可するという巧みな管理方法を実行したため、多くのサードパーティーの名作ソフトが販売され、ハードであるスーパーファミコンの売り上げを伸ばす事にも成功します。
このようにサードパーティーを上手く取り込むことで、自社ハードの人気を底上げする戦略をとっていた任天堂ですが、
サードパーティーの一つであったスクウェアとの不和など、任天堂を取り巻くサードパーティーとの関係性に陰りも見え始めていました。
このように第四世代ゲームハードのトップとなったスーパーファミコンの売り上げは、任天堂の家庭用据え置きゲームとしては、2006年に発売されたWiiの登場まで抜かされることはありませんでした。
しかし、それは裏を返せば、スーパーファミコンに続く任天堂の第5世代ゲームハードであるNINTENDO64、第6世代ゲームハードであるゲームキューブが苦戦を強いられたという事でもあります。
それは、続く任天堂の次世代機であったNINTENDO64やゲームキューブの時代には、もう一つの世界を代表するゲーム開発メーカーであるSONYのPlayStationシリーズが発売されていたため、任天堂一強時代に比べ顧客を奪われたためと言われています。
その原因は、ゲーム開発産業において重要なポジションを持っていたスクウェアやエニックス、カプコンなどといったサードパーティーが、次世代機において任天堂のハードであるNINTENDO64よりもプレイステーション用に自社ソフトを多く開発したため、ゲームハード全体としての盛り上がりが少なくなってしまったためでした。
このスーパーファミコンに関しては、任天堂の純粋な2Ⅾゲームの据え置き型ハードとしては最後のハードとなる事から、2Ⅾゲームマニアの間では今なお根強いファンがいるゲームハードとなっています。
代表ゲームソフト
スーパーマリオワールド
ゼルダの伝説 神々のトライフォース
スーパーマリオRPG
クロノトリガー
スーパードンキーコング
ストリートファイターⅡ
マリオカート
ドラゴンクエスト5 天空の花嫁
星のカービィ スーパーデラックス
ファイナルファンタジーⅥ など他多数
1990年:SEGAよりゲームギアが発売される
ゲームギアは1990年にSEGAより発売された携帯ゲーム機です。
携帯ゲーム機としては第4世代型携帯ゲームハードとなります。
携帯ゲーム市場において独占状態であった任天堂のゲームボーイに対抗するべく、ゲームボーイにはない様々な拡張機能を前面に打ちだし発売されました。
日本初のカラー画面の携帯ゲームハードであり、別売りのTVオートチューナーパックを本体に繋げば液晶カラーテレビとしても使用できるという、当時として極めて先進的なゲームハードでした。
ゲームハードのスペックとしては申し分が無かったものの、ゲームボーイとは違いサードパーティの支持を得られず、またゲームボーイにおけるポケットモンスターのようなキラータイトルにも恵まれなかった事から、携帯ゲーム市場における任天堂=ゲームボーイの圧倒的優位を覆すことは出来ませんでした。
その後、SEGAの方針により当時低迷していた携帯ゲーム機よりも、家庭用ゲームの開発に専念する事が決まり、SEGAは携帯ゲーム開発からは撤退しました。
その為、ゲームギアはSEGAにとって、最初で最後の携帯ゲームハードとなります。
ゲームギアより発売された代表ソフト
そんなゲームギアからは、SEGAらしい個性豊かなゲームソフトが多数発売されコアなファンを獲得しています。
SEGAより発売された、アラビアンナイトの世界を舞台にした珍しいRPG(ロールプレイングゲーム)である”シャダム・クルセイダー 遥かなる王国”
SEGAを代表するキャラクターであるソニックと、その相棒のテイルスのどちらかのキャラクターを選んで遊べるアクションゲームである”ソニック&テイルス”
日本の”忍者”を操作する新感覚アクションゲームである”The GG忍”
などの名作ゲームが発売され、当時のゲームファンを楽しませました。
現在これらのゲームソフトはコレクション品として、とても高値で取引されています。
代表ゲームソフト
ソニック・ザ・ヘッジホッグ
ソニック&テイルス
テイルスアドベンチャー
シャダム・クルセイダー 遥かなる王国
The GG忍 など他多数
まとめ
いかがだったでしょうか?
この記事では、主に第四世代型ゲームハードについてご紹介しました。
ファミリーコンピューターの発売から続く任天堂一強時代。
SEGAなどのライバル会社もそれぞれ自社ハードを発売しましたが、結局第四世代ゲームハード競争は任天堂の勝利に終わりました。
家庭用ゲーム機であるゲームボーイも発売し、まさに絶対王者となった任天堂。
しかし、続く第五世代では任天堂の宿命のライバルとなるSONYが、第五世代ゲームハードであるPlayStationを発売し、その不動の立場を揺るがせます。
更に、長年のライバルであったSEGAも第五世代ゲームハードであるセガ・サターンを発売。
熾烈を極めるゲームハード競争は続きます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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