【自己啓発】元気が出るマンガ・アニメのセリフ8選【挫けそうな時に思い出そう!ヒーロー達の言葉】

自己啓発
この記事でわかる事

人生で落ち込んだ時や道に迷ったときに、元気をもらえたり人生の道しるべとなるアニメや漫画の名言がわかります。

こんにちは、syuyaです。

この世界で生きていると、ふいに挫けてしまいそうになったり、よこしまな考えを抱いてしまう事が多々ありますよね。

時に、実際に大きく道を踏み外してしまう事もあるでしょう。

しかし、思い出してください。

我々がかつて憧れた、マンガやアニメの登場人物たちが一体どういう性格の人間であったかを。

困難や絶望を乗り越え、物語の最後には叶えてきたきた主人公たちの雄姿を。

そして、彼らが口にした名セリフの数々を。

たかが漫画のセリフに何を言っているのか

と笑うなかれ。

たとえフィクションの住人であろうとも、彼らの生き様や言葉は、現実世界で大人になった我々にも必要なものではないでしょうか?

この記事では、そんあ勇気の出るマンガやアニメの登場人物の名言をピックアップしてご紹介します。

 自分の言葉はまっすぐ曲げねぇ、それが俺の忍道だ

 自分の言葉はまっすぐ曲げねぇ、それが俺の忍道だ

NARUTOより うずまきナルト
  少年ジャンプコミックス NARUTO 17巻より

このセリフは、大人気少年漫画”NARUTO”の主人公であるうずまきナルトのセリフです。

少年ジャンプに1999年から2014年まで連載された、岸本斉史先生原作の大人気漫画NARUTO。

世界で2億5000万部以上の発行部数の記録を持つ大人気忍者漫画です。

忍者が活躍する世界において、体に化け物である”九尾の妖狐”を封印された少年忍者うずまきナルトが、忍者の里の頂点である”火影”を目指して、多くの強敵を倒して突き進むという王道少年漫画です。

ナルトは体内にかつて里を襲った”九尾の妖狐”を封印されている事から、里の人間に化け物と呼ばれ忌み嫌われる、不遇な幼少期を過ごしていました。

そんな幼少期の反動から、ナルトは里の皆に認められたいという気持ちが強くあり、里の長であり里の皆から慕われる”火影”に強く憧れていました。

そして、いつしか火影になることが、ナルトの絶対に叶えたい夢になります。

その夢を自らの胸に秘める事はなく、自らがいずれ絶対に火影になるという事を周りに宣言していきます。

俺は絶対に火影になる

周囲の人間はそんなナルトを馬鹿にしたり、時に力づくでそれが不可能な夢である事をナルトに分からせようとしてきます。

ですが、その夢を否定される度に、ナルトは言うのです。

”まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だ”

忍道とはナルトの世界において、忍として生きていく上での信念のようなものです。

実際、作中においてどんなにその夢を否定されようとも、ナルトはその言葉を決して曲げようとはしませんでした。

否定してきた相手が、例えどんなに自分よりも格上だろうとです。

そして、数々の困難を乗り越え、強敵を倒していったナルトは、物語の最終話で本当に火影となってしまいます。

”絶対に火影になる”という、周囲の人間に”絶対に無理だ”とか”非現実的だ”と馬鹿にされていた夢を、自らの言葉を決して曲げずに一生懸命努力し続けた結果、現実のものとしてしまったのです。

フィクションではないこの現実の世界でも、自分の夢を決して諦めずひたむきに努力を続けた人間のみが、夢を掴むことに成功していますね。

ナルトの口癖であったこの言葉は、成功者だけが持つ普遍的な考え方なのかもしれません。

 俺は助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!!!

 俺は助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!!!

ONE PIECEより モンキー・D・ルフィ
 尾田栄一郎 ONE PIECE第10巻 第90話より

続いて紹介するのは、ONEPIECEより主人公のモンキー・D・ルフィのこの言葉です。

ONEPIECEは1997年の少年ジャンプ34号より週刊少年ジャンプにて連載が開始した漫画であり、なんと2023年現在まで連載が続いている大人気少年漫画です。

なんと連載期間は26年!

連載当初に生まれた子供も、もうアラサーというから驚きですよね。

日本国内での単行本発行部数は何と4億1000万部以上、海外でも1億分以上の発行部数を誇り、累計で5億1000万部もの発行部数の記録がある怪物級の漫画です。

この発行部数は漫画の発行部数としてトップなだけではなく、

本・書籍シリーズとしてみても、歴史上で世界で6番目に売り上げた書籍シリーズとなっています。

原作者は尾田栄一郎先生で、単行本にQ&Aコーナーを設けて読者の質問に答えるなど、気さくな人柄からファンからはおだっちと呼ばれ親しまれています。

そんなONEPIECEは数々の名言で知られる作品ですが、私syuyaが選ぶのはこの言葉です。

海賊王ゴールド・ロジャーによって隠された秘宝である”ひとつなぎの大秘宝ワンピース”を探し出し、ワンピースを見つけ出し”海賊王”になることを宣言するルフィですが、彼は決して傲慢な訳ではありませんでした。

ジンベイザメの魚人アーロン率いる魚人海賊団の囚われの身となっている、航海のナミを救出する為に、剣士のロロノア・ゾロ、狙撃手のウソップ、シェフのサンジと共に、自らが率いる麦わら海賊団の船長であるルフィはアーロンに戦いを挑みます。

実力者であるアーロン相手に苦戦したルフィは、自らの弱点である海に突き落とされ命の危機に陥りました。

仲間に救出されなんとか生き延びたルフィに、アーロンは嘲笑います。

一人で海から上がることもできないお前に一体何ができる!!

それに対しルフィは

何もできねェから助けてもらうんだ!!!

と、堂々と返します。

剣士であるゾロのように、剣術が使えるわけでもない。

狙撃手であるウソップが得意な嘘が、自分も上手につけるわけでもない。

シェフであるサンジのように、素晴らしい料理が作れるわけでもない。

航海士であるナミのように、航海術の知識がある訳でもない。

そう宣言したうえで、

俺は助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!!!

と、堂々と言い放って見せたのでした。

字面だけ見れば、何ともかっこ悪い、情けない事この上ないセリフです。

ですが、自らの弱点を堂々と認め、仲間への揺るぎない信頼を隠そうともせずにこのセリフを言い放ったルフィは、寧ろ潔い大物に見えたのは私だけではないはずです。

落ちこぼれだって必死で努力すりゃ、エリートを超える事があるかもよ? 

落ちこぼれだって必死で努力すりゃ、エリートを超える事があるかもよ

DRAGON BALLより孫悟空

原作 鳥山明 DLAGONBALL 19巻より

このセリフを言ったのは、日本で知らぬ者はいないであろう少年ジャンプの人気作品、DRAGON BALLの主人公である孫悟空です。

DRAGON BALLは週刊少年ジャンプにて1984年から1995年まで連載された、鳥山明先生による漫画です。

その王道の少年漫画のストーリーは、日本のみならず世界中で大ヒットし、国内のみで1億6000万部以上の発行部数を記録、世界では何と2億6000万部以上の発行部数を記録します。

ワンピースの作者である尾田栄一郎先生や、NARUTOの作者である岸本斉史先生などがこの作品のファンであると公言しており、後の漫画家に与えた影響が凄まじい漫画でもあります。

そんな漫画の主人公である孫悟空は、周りの地球人とは違い猿の尻尾が生えた、やたら丈夫な子供でした。

後に大人になり、悟空の兄と名乗る宇宙人であるサイヤ人のラディッツにより、実は悟空も地球人ではなく、宇宙に名を轟かせる戦闘民族であるサイヤ人であったという事実を知らされます。

地球を侵略しようとしたラディッツを、仲間の協力の下倒した悟空ですが、後にラディッツよりも格上のエリートサイヤ人であるナッパと、サイヤ人の王子ベジータが襲来します。

辛くもナッパを倒した悟空は、街のはずれの荒野でベジータと対峙します。

戦闘民族であるサイヤ人の階級は、戦闘力の高さによって決まります。

悟空はサイヤ人の中でも、戦闘能力が低いとされた下級戦士の息子で、対するベジータはサイヤ人の王の息子です。

ベジータは下級戦士出身の悟空がエリートである自分に敵う訳がないと、悟空を挑発します。

それに対して、悟空はこのセリフを言いました。

”努力・友情・勝利”がモットーの少年ジャンプの代表格とも言える漫画の主人公らしいセリフです。

このセリフの通り、悟空はベジータを打ち負かし、例え落ちこぼれと言われる下級戦士であっても、死ぬ気で努力すればエリートを超えられるという事を証明して見せたわけです。

実は、悟空の父親は全くの下級戦士では無かったという事実が後に判明したのですが、物語のこの時点では悟空はその事を知りません。

重要なのは、例え相手が強大な力を持ったエリートであっても、果敢に挑むというその勇気です。

現実の我々も、見習うべきところが大いにあると思いませんか?

老いる事も死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ。

老いる事も死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ。

鬼滅の刃より煉獄杏寿郎
 画像引用 ジャンプコミックス 鬼滅の刃 8巻 63話より

このセリフは大人気漫画鬼滅の刃に登場する”炎柱”である煉獄杏寿郎のセリフです。

鬼滅の刃は吾峠 呼世晴(ごとうげ こよはる)先生による漫画で、2016年から2020年まで週刊少年ジャンプにて連載されていました。

物語の舞台は人外の怪物である鬼が存在する大正時代の日本。

山小屋で炭焼き職人を家業としていた13歳の少年竈門炭次郎は、若くして病で亡くなった父親の代わりに、母親と一歳年下の妹である竈門禰豆子、そして4人の弟妹を養う心優しい少年でした。

貧しいながらも幸せな家庭を築いていた竈門家でしたが、ある日炭次郎が炭を売りに人里へ降りていた所、竈門家は人食いの化け物である鬼に襲われ、長女であった妹の禰豆子を除く一家は惨殺されてしまします。

そして、残った禰豆子ですら鬼に襲われた傷がもとで、自らも鬼に変貌してしまいそうになります。

そんな折、日本各地にはびこる鬼を退治する部隊である鬼殺隊の”水柱”である富岡義勇が現れます。

竈門家を襲った鬼を退治した義勇でしたが、鬼に変貌しようとしていた禰豆子を見て、鬼に変貌して人を襲う前に処分しようとします。

しかし、人を襲う鬼になりつつも、兄である炭次郎を襲う事をためらう禰豆子を見て、もしかしたら人間に戻る可能性があるかもしれないと考え、炭次郎に自らが所属する鬼殺隊に入り、禰豆子を元に戻す方法を探る事を提案しました。

こうして、炭次郎は鬼殺隊の一員として、各地に蔓延る鬼を退治しつつ、禰豆子を救う手段を探す旅に出あtのでした。

そして、物語は進み無限列車編。

炭次郎を鬼殺隊に誘った富岡義勇と同じく、鬼殺隊最強の剣士である9人の”柱”の内の一人である”炎柱”煉獄杏寿郎が、最強の鬼の集団である6人の”上弦の鬼”の中でも三番目の強さを持つ”上弦の参”猗窩座(あかざ)と対峙します。

杏寿郎の強さを一目で見抜いた猗窩座は、その強さが老いによって失われてしまう事を嘆きます。

猗窩座は、杏寿郎の背後で別の鬼との戦闘で負傷し倒れていた炭次郎を弱者であると決めつけ、杏寿郎に炭次郎を守るのを止めるように言います。

そして、些細な傷が原因で死ぬような脆い身体を持ち、更には老いてしまう人間という弱い生き物である人間である事を辞めて、自らと同じ鬼になるように杏寿郎を誘います。

その提案を、杏寿郎は一蹴します。

人間である事に誇りを持っている煉獄杏寿郎にとって、老いる事も死ぬこともない鬼になって永遠の時を生きる事は、なんら魅力的な事には映らなかったのです。

そして、このセリフを猗窩座に対し言ったのでした。

我々は生きている以上、老いる事からも死ぬことからも逃れる事は出来ません。

ですが、だからと言って嘆いてはいけません。

それどころか、煉獄さんの言う通り、それこそが人間という生き物の美しさであり、また尊い所なのでしょう。

限りある命、精一杯生きて後悔の無い生き方をしなければいけませんね。

”炎柱”煉獄杏寿郎の考え方や生き様は、背後で見守っていた炭次郎にとって偉大な模範となって、後の物語に大きな影響を与えます。

家族と楽しくワイワイ笑ったり、時にはケンカしたりしながらさ、このままずっと一緒に元気で暮らしたいと思ってる。それが今の俺の夢と言えば夢かな。俺さ、その夢のために今、毎日一生懸命働いてるんだ。結構楽しいよ。

家族と楽しくワイワイ笑ったり、時にはケンカしたりしながらさ、このままずっと一緒に元気で暮らしたいと思ってる。それが今の俺の夢と言えば夢かな。俺さ、その夢のために今、毎日一生懸命働いてるんだ。結構楽しいよ。

クレヨンしんちゃんより野原ひろし 第383話「むさえちゃんにお説教! だゾ」より 

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このセリフは、国民的漫画であるクレヨンしんちゃんの主人公である野原しんのすけの父、野原ひろしのセリフです。

野原ひろしは双葉商事という商社で係長として働くサラリーマン。

妻であるみさえ、そして子供であるしんのすけとひまわりを養っている一家の大黒柱です。

このセリフはそんなひろしが、アニメ第383話の「むさえちゃんにお説教! だゾ」にて、妻である野原みさえの妹である小山むさえに言いました。

むさえはプロの写真家を目指して、根画ヒルムという写真家の下で働きながら修行していましたが、次第にヌード写真を撮るようになっていった根画と対立し、更に根画に才能が無いと言われたことに失望して、根画の下を去ります。

そして無一文になったむさえは、姉であるみさえを頼り、野原一家に居候させてもらうのでした。

みさえは最初は妹であるむさえを匿うのでしたが、いつまで経っても自立しようとしないむさえに業を煮やし、夫であるひろしにむさえに注意するように言います。

ひろしは気が進まないながらも、むさえに将来についてどう考えているのか問いただします。

その話の中で、むさえはひろしに子供に考えていた将来の夢について尋ねました。

子供の頃の夢を尋ねられたひろしは、子供の頃は野球選手やパイロットなどに憧れていたものの、大人になり現実を知るにつれてそういった夢は消えていったと話します。

そして、このセリフを言うのでした。

確かに、プロの野球選手や航空機パイロットに比べ、世間からの注目度は低い夢かもしれません。

しかし、ずっと家族と楽しく過ごすという、当たり前のようで難しい夢を叶えるために、日々懸命に働いて、なおかつそれを”楽しい”と、迷いなく言えるひろしはすごく格好いいと思いませんか?

人それぞれ、夢の形は違って当然です。

重要なのは、その夢を追いかけている最中を楽しむかどうかであると、私はそう思います。

いちばんいけないのは自分なんかだめだと思いこむことだよ。

いちばんいけないのは自分なんかだめだと思いこむことだよ

ドラえもんより野比のび太

てんとうむしコミックスドラえもん7巻 好きでたまらニャい より 

このセリフは、同じく国民的人気漫画であるドラえもんの主人公である野比のび太のセリフです。

ドラえもんは原作藤子・F・富士夫による、子供向けSF漫画です。

小学館の雑誌より1969年から連載が開始され、藤子先生が亡くなった年である1996年の翌年まで連載されていました。

そのユニークな発想による漫画は日本国内のみならず、他の東アジアや東南アジアを中心に海外でも幅広い支持を受けました。

結果、世界で3億部を超える発行部数を誇っています。

また、これまで三度アニメ化もされています。

原作・アニメと様々なストーリーがあるものの、その中でも王道とも言えるパターンがあります。

22世紀の未来より送られてきたネコ型ロボットのドラえもんが、何をやっても駄目な現代の少年野比のび太に未来の道具を与えて、調子に乗ったのび太がその道具を悪用したりして一波乱起こすというのがドラえもんのストーリーの王道パターンです。

ですが、この名言が登場した原作7巻収録のエピソード”好きでたまらニャい”は、波乱を起こすのはのび太ではなくドラえもんという珍しいエピソードです。

ある日、心ここにあらずといった感じのドラえもんに、のび太が一体どうしたのか尋ねます。

ドラえもん曰く、近所に住むメスの猫に恋に落ちてしまったのだそう。

ネコ型ロボットであるドラえもんの恋愛対象は、同じく猫なのでした。

それを知ったのび太は最初はからかいつつも、ドラえもんの恋愛を協力する事にします。

告白の練習などをするも全く上手くいく気がせず、次第に自信を失っていくドラえもん。

そんなドラえもんにのび太が言ったセリフが、このセリフでした。

のび太は学校の成績も悪く、スポーツも苦手。

おまけに顔も良くはないという少年なのですが、ドラえもんシリーズを通して妙にポジティブな少年なのです。

同級生であるジャイアンやスネ夫に虐められて、落ち込んだり泣いたりしても、それをあまり引きずる事もなく、特技の一つである昼寝をすればすぐに立ち直るという凄いメンタルの持ち主なのです。

そののび太が言うと、妙な説得力があるセリフですよね。

ほんわかした雰囲気の子供向けアニメのドラえもんと違い、原作である漫画版ドラえもんは、子供のみならず大人が読んでもクスリとくるようなシュールなギャグ漫画となっています。

その為、このシーンも突っ込みどころのあるギャグシーンでもあります。

このシーンを読んだ人は、

いや、お前はもうちょっと自分を駄目だと思えよ・・・

と思わずのび太君にツッコみたくなるのですが、先ほど述べた通りそんな事を微塵にも思わない、底抜けのポジティブさこそのび太君の最大の強みなのです。

我々ものび太君に見習うべき所が大いにありますね。

安西先生……!バスケがしたいです……

安西先生……!バスケがしたいです……

SLAMDANKより三井寿
ジャンプコミックス SLAM DUNK 8巻 71話より

続いてご紹介するのが、大人気バスケットボール漫画SLAMDUNKより、三井寿のセリフです。

ネット上でも漫画史上屈指の名シーンとして、今なお語り継がれることの多いシーンとなっています。

SLAMDUNKは井上雄彦先生による青春スポーツ漫画で、週刊少年ジャンプに1990年から1996年まで連載されました。

全世界で1億7000万部の売り上げを記録した伝説的スポーツ漫画です。

舞台は神奈川県の湘南地域にある県立高校である湘北高校。

主人公である元不良の桜木花道は、一目ぼれした同級生の女子である赤木晴子にバスケットボール部に誘われ、全くの素人ながら湘北高校バスケットボール部に入部します。

しかし、そんな靖子はバスケ部エースである流川楓に惚れていることが分かり、花道は意気消沈します。

ですが、それでもめげない花道は流川を生涯のライバルと一方的に敵視し、流川よりも活躍して靖子を惚れさせようと猛特訓します。

元々、188センチという恵まれた体格に加え、ダンクシュートをしようとしてバスケットボールのゴールのボード部分に頭をぶつける程の跳躍力を始めとした驚異的なフィジカルを持っていた花道は、瞬く間にバスケ部の有力選手へとなっていきます。

そして、三井寿は中学時代にシューターとして活躍した元天才バスケットボール選手です。

後の湘北高校バスケ部監督である安西光義監督を慕い、強豪校からのスカウトを蹴って、安西監督のいた湘北高校に入学し、湘北バスケ部に入部しました。

しかし、猛練習の末左ひざを故障し、ドクターストップがかかってしまいます。

しかし、誰よりもバスケが好きで、周りに置いて行かれたくないと思った三井は病院を抜け出し密かに練習を続けましたが、結局左ひざの故障が再発します。

結局同級生の赤木剛憲らのインターハイ予選での活躍を目にした三井は、自分も出られなかった悔しさを胸に予選会場を後にします。

その後はバスケから離れ、不良グループのリーダーとなって自暴自棄な学生生活を送ります。

しかし、バスケ部のルーキーであった宮城リョータに対する嫉妬心から必要に彼をつけまわしたり、同じくバスケ部の花道ともトラブルになるなど、バスケに対する執着心を捨てきれないでいました。

そして不良仲間を引き連れバスケ部を襲撃しようとするも、花道らの活躍により返り討ちにあいます。

更には、決して捨てきれないバスケへの執着心の裏返しとして、執拗にバスケ部にちょっかいを出している事も看過されてしましまいます。

決してそれを認めようとしない三井でしたが、そこに恩師であり尊敬する安西監督が現れます。

安西監督を目の前にして、左ひざを故障しインターハイの予選に出られなかった2年前以降、ずっと我慢していた誰よりも強いバスケットへの情熱や憧憬の感情が溢れます。

そして、やっと素直な気持ちを言えたのが、上記のセリフの場面でした。

これ以降、三井は長かった髪をバッサリ切り、ブランクを埋めるべく猛練習をします。

もとより持ち合わせていたバスケの才能と、誰よりも強いバスケへの愛情のおかげでみるみる頭角を現し、湘北高校バスケ部随一のシューターとして、同じ3年生である赤木剛憲と木暮公延と共に、部を引っぱっていく存在となります。

長く険しい人生において、誰しも迷走をしてしまう時期というのはあるものです。

ですが、人生をやり直すのに遅すぎるという事はありません。

2年間を不良として、何の目標もなく過ごしていた三井でしたが、自分が本当に望むものを再確認し、もう一度かつてのようにバスケットボールプレイヤーとして活躍したいと恩師に告白します。

恩師である安西や湘北高校バスケ部はそんな三井を受け入れ、共に切磋琢磨する内に、三井はかけがえのないチームの一員となりました。

みなさんも人生の道に迷った時は、この三井の言葉を思い出してみてはいかがでしょうか。

立って歩け、前に進め。あんたには立派な足がついているじゃないか。

立って歩け、前に進め。あんたには立派な足がついているじゃないか。

鋼の錬金術師よりエドワード・エルリック
ガンガンコミックス 鋼の錬金術師 1巻第2話より

最後にご紹介するのは、荒川弘先生原作の大人気ダークファンタジー漫画、鋼の錬金術師より主人公のエドワード・エルリックのセリフです。

鋼の錬金術師は月間少年ガンガンにて、2001年から2010年まで連載されました。

世界累計発行部数は8000万部を超える大ヒットを記録し、後にアニメ化や実写映画化などもされ、一大ムーブメントとなりました。

舞台は架空の国家アメストリス。

この世界では、現実世界における科学文明の代わりに、錬金術の文明が栄えています。

国家が実施する試験を通った者には、国家資格である国家錬金術師の資格が与えられるなど、錬金術が広く認められている世界です。

主人公は、そんな国家錬金術師試験に最年少で合格した、天才錬金術師である”鋼の錬金術師”ことエドワード・エルリック。

そして、エドワードの弟である全身鎧姿のアルフォンス・エルリックの二人で、共に伝説の錬金術のアイテムである賢者の石を求め、アメストリス国中を旅してまわっていたのでした。

エルリック兄弟は賢者の石の情報を聞きつけ、アメストリス国東部の街であるリオールに訪れます。

リオールは太陽神レトを崇拝するレト教という新興宗教が盛んな街であり、レト教の教主コーネロは錬金術でも説明がつかない”奇跡”を民衆の前で起こす事で、信者を獲得していたのでした。

エルリック兄弟は、その”奇跡”に賢者の石が使用されているのだと睨み、レト教に接近します。

そして、レト教の熱心な信者であったロゼという少女と仲良くなった兄弟は、ロゼに導かれ教主コーネロに接近を試みます。

コーネロと面会したエルリック兄弟は、賢者の石を持っているのかとコーネロに問い詰めます。

コーネロは、深紅に光る石をエルリック兄弟に見せつけます。

エルリック兄弟にとって、念願の賢者の石でした。

コーネロは自分の命令の為には自らの死すら厭わない軍団を獲得する事こそ、レト教を開いた目的であると高らかに宣言します。

それを聞いてしまった信者のロゼは落胆します。

ロゼは死んでしまった恋人にもう一度会いたいという思いから、恋人を死から蘇らせるため、教団の標榜する”奇跡”の力にすがっていたのでした。

そして、エルリック兄弟の智謀により教団の秘密をリオール中に暴かれたことに激怒したコーネロと戦闘になります。

そして、エルリック兄弟は戦闘に勝利します。

しかし、コーネロの持っていた賢者の石は紛い物で、兄弟の探し求めているものとはかけ離れている出来損ないだったのです。

落胆するエルリック兄弟に、ロゼは泣きながら責め立てます。

”今まで信じていたものを失って、死んだ恋人ともう一度会えるかもしれないという希望も失って、自分はこれからどうやって生きて行けばいいのか?”

そう尋ねるロゼに、エドワードが言ったセリフが、このセリフでした。

コーネロとの戦闘中、エドワードとアルフォンスの衝撃の真実が明るみに出ます。

幼少期に母を失ったエルリック兄弟は、錬金術における”禁忌”とされる”人体錬成”を行い、死んでしまった母親を蘇らせようとしました。

しかし、人類が触れてはならない”禁忌”を行おうとした幼き兄弟に対し、この世の”真理”は罰を与えます。

兄のエドワードは”左脚”を、そして弟のアルフォンスは”全身”を、真理によって”もっていかれ”てしまったのです。

一人真理の空間から生還したエドワードは、左脚を失い満身創痍ながらも、たった一人の家族である弟だけは取り返そうと、再度人体錬成を試みアルフォンスを練成しようとします。

そして、”右腕”と引き換えに、アルフォンスの”魂”のみを鎧に定着させることに成功したのでした。

こうして、右腕と左脚が鋼鉄の義手であるオートメイルである兄のエドワードと、鎧の中身が無い、鎧自体に魂の宿っている弟のアルフォンスの二人の兄弟が誕生したのでした。

エルリック兄弟が賢者の石を求めるのも、弟のアルフォンスの全身と、そして出来るのなら兄の左脚と右腕を取り戻すためだったのです。

普段の明るい彼らの性格からは想像できないような、凄まじく過酷な過去を持った兄弟だったのです。

物語の中で、エルリック兄弟の眼前には常人には耐えられないほどの試練や絶望が何度も降りかかります。

しかし、兄弟はその歩みを止めません。

例え、自らの脚を失い義足になろうとも、どんな困難が降りかかろうとも、”鋼の錬金術師”エドワード・エルリックは弟の身体を取り戻すまで、決してその歩みを止めないのです。

そんなエドワードの言葉だけに、この言葉は”鋼”以上にずっしりと重い言葉だと思いませんか?

まとめ

いかがだったでしょうか?

少年マンガやアニメにおいて、主人公や登場人物には数えきれない困難や不幸が襲い掛かります。

ですが、彼らは決してそれらに負けずに立ち向かい、最終的には乗り越えて前に進みます。

確かにこれらフィクションの世界の話であり、現実と混同するべきではないかも知れませんが、例えフィクションであっても、彼らの精神性は我々も見習うべきものがあるのではないでしょうか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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