みなさんこんにちは、syuyaです。
1000年間もの間日本の都であった古都・京都。
歴史が深く色んな人が往来したこの都では、ある種独特な言い回しが醸成され、いわゆる”京ことば”として知られる京都流の表現が数多く生まれました。
京ことばは本音と建前がかなりはっきり分かれており、言葉通りに受け取ってはいけない場合も多々あります。
この記事ではそんな京都人の鉄板フレーズを意訳付きでご紹介します。
※ この記事の内容はあくまで私syuyaの、多少の偏見の混じった京都人観からくるものであり、全ての京都人に当てはまるものではありません。
また、京都人の性格や文化を茶化すものでは一切ない事を、予めご了承ください。
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ぶぶ漬けでも食べていかはりますか?・・・そろそろ帰ってや
京都ではお茶漬けを”ぶぶ漬け”という
画像引用 https://kakakumag.com/food/?id=15110
あらもうこんな時間やわ
ぶぶ漬けでも食べていかはりますか?
ぶぶ漬けとは、京都弁でお茶漬けの事です。
京都人の家にお邪魔してしばらくゆっくりした後、京都人にこのフレーズを言われたら、そろそろおいとましなければいけません。
これは非常に遠回しに、
夕飯の支度もあるし、そろそろ帰ってほしいわ
と、言われているという事です。
京都人同士の間では、他人の家に上がり込んでおいて、その上食事までご馳走になるのは、大変申し訳ないことなので、断るのが常識とされています。
ですから、これを言われた際には、
「あ、ほんまや。もうこんな時間や。長々といてしまってすみませんでした。もう帰りますわ」
などと一言お詫びをして、帰り自宅をするのが常識です。
間違っても、「じゃあ、遠慮なく」などと言って、夕食をご馳走になってしまってはいけません。
京都人はこのように、相手に自分が言いたい事を察させる言い回しをよく使います。
ええ時計してますなぁ・・・話長いねん
ロレックスであっても安物であっても関係ありません
面白い話やわ~
ところで○○さん、かっこええ時計したはりますな。
時計に限らず、京都人との会話で時間を連想させる単語が出たら、そろそろ切り上げ時という事です。
他にも
「だいぶ日が傾いてきたなぁ・・・」
などがあります。
京都人は「そろそろ用事がありますのでこれで失礼します」とか「続きはまた今度にしましょう」等といった直接的な表現は角が立つ為好みません。
あくまで時計を指摘する事により相手に時計の方を見させたり、あるいは時間を連想させることにより、「あ、もうこんな時間か」と気づかせるのが意図です。
日本の文化である”察しの文化”の最右翼にいるのが京都人といっても過言ではないでしょう。
これを言われたら、
「あ、もうこんな時間や。長々とお話ししてすみませんでした」
といって、お詫びしつつ切り上げるのが吉です。
京都人以外には分かりづらいかもしれませんが、言葉以外にも相手の様子などからも察してあげましょう。
元気やなぁ(ニコニコ)・・・ちょっとうるさいわ
京都人は子供の躾にも、大変厳しいことで有名です
あんさん元気やなぁ(ニコニコ)
ちょっと外で遊んできたら?
例えば、室内で元気よく遊んでいる子供に対し、京都人の奥様がこのように言ったのなら要注意。
子供はすぐに静かにさせなければいけません。
これは子供の大きな声に、相手の京都人の方が気分を害している可能性が高いと思われます。
繰り返しになりますが、京都人はストレートな表現を嫌います。
他の都道府県人からすれば、”ちょっと静かにしてね”とストレートに言えばいいと思うのですが、京都人にとってはそういった直接的な言葉は憚られるのです。
あなたが子供を連れた親で京都人にこれを言われた場合は、すぐに
「ちょっと静かにしなさい」
などと子供を注意しなければ、ろくに子供を躾けられない親だと思われてしまう恐れもありますので、くれぐれも注意しましょう。
外人さんみたいなカッコやなぁ・・・変な恰好してんな
この画像の方のように似合っていれば良いのですが・・・
外人さんみたいなええ格好したはるなぁ・・・
私はちょっとついていけんわ・・・
”外人さんみたい”と言われて喜んではいけません。
これは別にあなたがジョニー・デップやオーランド・ブルームのようにかっこいいという意味ではありません。
直訳するならば、”変な格好してるなあんた”と言ったところでしょうか。
京都人の使う”外人さんみたい”は、それこそ十中八九悪口に使われる形容詞です。
”外人さん”=”私たちとは違う文化の人”=”私たちには理解できない”といったニュアンスです。
言うなれば言外に、”このよそ者が”とけなしているようなものです。
現代日本においては服装は自由ですし、実際に京都の若者の中にも、奇抜なファッションをしている人も多数います。
しかし、基本的に京都人はシックな装いを好みます。
あまり、ネックレス等アクセサリーをジャラジャラ身につけたり、髪を金髪に染めたり、肌を必要以上に焼いたり等することを、京都人は好みません(もちろん人にもよります)。
そのような恰好をしていた場合、ふいに京都人にこの言葉を言われることも多いです。
京都人にこれを言われた場合は、その服装がその場のドレスコードに適合したものであるか、再確認しましょう。
私あほやからよくわからんわぁ・・・話通じえへんなこいつ
京都人にはんなりとこう言われて、気をよくしてはいけません
いや~かしこいんどすなぁ。
私あほやからよぉわからんえ・・・
京都人の使うこの言葉は、自分をけなしているように見えて、実は相手をけなしています。
「私あほやから・・・」
とは口では言うものの、内心では微塵もそんな事を思っていません。
それどころか、ニコニコと微笑みつつ内心では、
こいつ話通じへんわ・・・
と逆に見下しています。
しかし、直接的に相手にその事を指摘すると角が立ってしまう為、このように自分を卑下する事により謙遜しつつ、遠回しに相手をけなすのです。
京都人にこれを言われた際には、
「ああ、すいませんでした。一人先走ってしまって。ところで・・・」
などと一言詫びを入れた後に、話題を変えるのが良いでしょう。
間違っても、言葉通りにうけとって、気をよくしてしまってはいけません。
日本語には他の言語にはあまり見られない、自分をへりくだって相手を立てる”謙譲”表現があります。
京都の人は日本の他の地域に比べ、特にこの謙譲表現をよく使います。
しかしそれはあくまで形式的な言語の表現であり、本当に心の底から自らをけなしているわけではありません。
京都人と接するときには、こちらも腰を低くしお互いに謙譲しあうのが基本となります。
ある意味、伝統的な日本流コミュニケーションと言えるでしょう。
それはよろしぃなぁ・・・どうどもええわ
口ではいくらでも思ってもないことを言えるものです
あ!ホンマ?
それはよろしいなぁ・・・(ニコニコ)
これも京都人がよく使います。
なかば相槌の間に挟む、常套句のようなものです。
要は
それは(どうでも)よろしぃなぁ・・・。
という解釈で間違いないと思います。
たとえ笑顔で話に興味を持っている風にこれを言われたのだとしても、それは十中八九お愛想だったりします。
京都人は本音を隠し建前で話をするのが日本一上手であるといっても過言ではありません。
その為、他都道府県の人は京都人の本音を見抜けなかったり、また建前を本音と思ってしまうという事が多々あります。
見分け方としては、
それってつまりどういうことやの?
とか
へぇ、しらんかった~。ほな~なん?
など、相手が声色を少し変えて色々質問をしてきたならば、それは本当にその京都人にとって興味があった話題であるという事です。
そして京都人に限らず、人の目は嘘をつけません。
目の瞳孔が開き、あなたの目を見つめて話を聞いているという事は、あなたの話に興味があるサインです。
言葉による建前が多用される京都人とのコミュニケーションには、特にそういった言葉以外のノンバーバル(非言語)・コミュニケーションが重要視されます。
あんさんどこから来はったの?・・・よそ者が行儀よくせぇ
京都には外国人や修学旅行生なども多く訪れる為、京都人は一部のマナーの悪い観光客に辟易としているのです
あんさん京都の人やないね?
どこから来はったの?
これは2通りの意味がある言葉であり、純粋にお相手の京都の人の好奇心により口に出されたものか、或いはあなたの行儀の悪さなどが目に余った場合の一刺しです。
京都の人たちは自分たちが都の住人であり、また日本一のマナーの持ち主であるという自負を持っています。
その京都の人たちがこのような言葉を発するときは、大抵が内心で
きちんとせいこのよそ者が
と嘲笑しているような場合が多いのです。
この言葉を聞いたなら、少し行儀などを整えましょう。
京都には日本全国、それどころか世界中から観光客が訪れます。
中には羽目を外しすぎるなど、マナーの悪い観光客も多数おり、京都人はそういった人間の対応に辟易としているのです。
ですから、彼らが相手が観光客と見ると身構えてしまうのも、致し方ないかもしれません。
京都人は、あまりぐいぐいと出しゃばるような人物は好みません。
どちらかというと、そういった人の一歩後ろでニコニコしているような人物が好まれます。
京都人と接するときはあまり出しゃばらず、マナーを守り、静かに微笑みながら会話するのが良いでしょう。
後から誰か来はるの?・・・入ったらドアを閉めろや
京都には伝統的な日本家屋も多く、室内マナーなどを幼少期から徹底的に教え込まれます
ドア開いてるけど・・・
後から誰か来はるの?
これは直訳すると”入ってきたならドアを閉めろ”です。
日本の座敷マナーとして、部屋に入ったり出たりした後はふすまをちゃんと閉めるというものがあります。
京都人は幼いころから、そういったマナーをきちんと躾けられている人が多いです。
ですから、そういったお座敷の作法も知らず、部屋に入室した際などにきちんとドアなどを閉めない人間は、彼らからすれば信じられないようです。
ですから、これを言われた際には、
「失礼しました」
と詫びた後、きちんとドアなどを閉めましょう。
このような事を言われない為にも、京都人のお宅に上がらせていただく際には、特にそういった礼儀作法を予習し、粗相のないようにしましょう。
万が一誰か後から来るようでも、一度閉めるのが無難です。
もう好きにしはったら?・・・もうこいつ知らんわ
呆れた・・・
もう好きにしはったら?
京都人にこれを言われたならもうおしまいです。
完全に愛想をつかされたとみていいでしょう。
あなたはもう言われた通り好きに何をしても構いませんが、もうこの京都人はあなたに関わることはしないでしょう。
”愛想も小想も尽きた”というものです。
”怒られている内が花”とも言いますが、京都人に関しては”小言・嫌味を言われている内が花”と言えます。
そもそも、彼ら彼女らからしてみたら、それらの小言や嫌味は遠回しに注意してくれているということであって、あなたの側に何か看過できない素行があるという事です。
その小言や嫌味を聞いてなお、あなたの素行や態度などが一向に改まらない場合は、京都人ももうそれらを言わず、黙ってあなたから距離を置くでしょう。
この言葉を言われる前に、発せられている京都人のシグナルを敏感に感じ取り、己の立ち振る舞いを改める事が肝心です。
まとめ
いかがだったでしょうか。
他の都道府県の方からはあまり評判がよろしくないこれら京都人の婉曲表現ではありますが、その根底にあるのは決していけず(いじわる)な心ではなく、相手を傷つけずに注意しようという思いやりの心なのです。
ですからマナーや礼儀を守って接すれば、京都の人はとても親切で礼儀正しく、思いやりに溢れる人々です。
皆様も京都に訪れた際は、この記事の事を心に留め置き、京都の人々と接してみてください。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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